大判例

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東京高等裁判所 昭和41年(う)1734号 判決

被告人 三浦純二朗

〔抄 録〕

論旨は要するに、「被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四〇年六月一九日午後八時四五分頃、普通乗用自動車を運転し、大田区羽田六の二四番地先道路を産業道路方面から羽田空港方面に向かい、時速約四〇キロメートルで進行中、前方に横断歩道が設けられているので、業務上前方左右を注視し、とくに横断者の有無および動静を確認して進行すべき注意義務があるのに、漫然前記速度で進行した過失により、横断歩道を右から左へ横断していた神山尚登(当六年)に自車を衝突させ、同人に加療約五日間を要する後頭部打撲傷の傷害を負わせたものである。」との公訴事実に対し、原判決は、被告人は前方注視や横断者の有無動静の確認を怠つたものとはいえず、また徐行の義務も尽しており、業務上の注意義務を怠つたものとは認め難いので、本件事故に対する被告人の過失を証明することはできないとして無罪判決を言い渡したが、証拠によれば、本件交通事故の発生した現場附近の状況に鑑み、公訴事実掲記の注意義務が被告人に課せられるべきことはもとよりであつて、被告人が徐行義務も前方注視・動静確認等の義務も尽さなかつたことは明白であつて、本件公訴事実は証明十分である。従つて、被告人を無罪とした原判決は証拠の取捨選択を誤り事実を誤認したもので、その誤りが判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、破棄を免れないというにある。

よつて審究するに、本件交通事故の現場附近の状況は、西方産業道路方面から東方羽田空港方面に至る幅員一〇・九米のアスフアルト舖装道路とが交差して十字路交差点を形成し、その交差点の東側(控訴趣意書二枚目の表一三行目に西側とあるのは東側の誤記と認められる)羽田空港方面寄りに三・九米の白ペイント縞模様の横断歩道の標示がなされ、その附近の見易い地点に横断歩道標識も設けられており、時速四〇粁の速度規制はあるが、右交差点に信号機の設置なく、交通整理は行われておらず、可成り繁華な商店街で店舖がたち並び、交差道路の交通の状況に対する見通は極めて悪いにも拘らず、車輛の交通が相当頻繁であることが認められる。ところで、本件交通事故は午後八時四五分頃の出来事であるが、街路灯のほか店舖の灯火もあつたことが窺われその上通行車輛の前照燈をも考慮すると夜間といえども暗さの故に見通しが特に困難であつたものとは認められない。しかし、本件の場合、特殊の状況として、東方羽田空港方面から西方産業道路方面に向う自動車の流れが本件交差点附近において渋滞し、連つて停車していた一部自動車の後部は尚右横断歩道上にありその直後に連らなる自動車の前部は横断歩道上にはみ出ている、状況にあつたことが明らかである。

右の如き状況のもとで、被告人は西方産業道路方面から東方羽田空港方面に向つてタクシーを運転し本件交差点を通過した際、右横断歩道上において、その右側の渋滞停車中の自動車の間から出て来て左側に横断しようとした六才の被害者と接触したのであるが、原判決は、「寧ろ被害者が横合から飛び出して来て被告人の車の右側面に接触、転倒したものと判断される」旨判示するので、この点につき検討するに、被害者が渋滞停車中の自動車の間から被告人の進路右前方に突然現われ、急制動によりスリツプ痕を残しつつ横断歩道に跨り滑走しつつある被告人の自動車の右側面に接触したことは実況見分調書及び被告人の司法巡査に対する供述調書によつて明らかであるにしても、被告人の原審公判廷における供述によると、衝突のシヨツクは全然通じなかつたしまた下車したところ被害者は既に立ち上つており尋ねると約五〇米西方の自宅を教えたことが認められ、傷害の程度も頭に瘤が出来たほどのものであつたことに徴すると、接触の程度は激突とか衝突というに足りない程のものであつたことが認められ、従つてまた被害者が自動車の間から出て来た動作も勢よく飛び出すというほどの速度をもつたものであつたとは認められず、さればといつて、被害者は自動車の間から出て接触するまで立ち止ることなく尚約二米は横断歩行を継続していることに徴すると、被害者が当審における事実取調の際に示した如き児童の通常の歩き振りであつたとも認められず、結局、右接触の態様に鑑みると、被害者は論旨もいうように所謂小走りで渋滞停車している自動車の間から出てそのまま立ち止まるいとまもなく殆ど出合いがしらに被告人の自動車の右側面に接触したものと認めるのが相当であるから、先ずこの点において原判決は客観的注意義務の前提となる事態の認定を誤つたものといわなければならない。

而して、本件交通事故現場は前記のとおり交通整理の行われていない交差点で左右の見とおしのきかないところであるから、道路交通法第四二条により徐行すべきこともとよりであるが、この点は公訴事実に鑑み論外とするも、この交差点の東側に接して横断歩道が設けられてある以上、歩行者がこの横断歩道によつて被告人の進路前方を横切ることは当然予測すべき事柄に属し、更に対向自動車が連続して渋滞停車しその一部が横断歩道上にもかかつていたという特殊な状況に加えて、それらの車輛の間に完全に姿を没する程小柄な児童が、車輛の間から小走りで突如現われたという状況のもとにおいても、一方において、道路交通法第一三条第一項は歩行者に対し、車輛等の直前又は直後で道路を横断するという極めて危険発生の虞の多い横断方法すら、横断歩道による限りは認容しているのに対し、他方において、運転者は同法第七一条第三号により、右歩行者のために横断歩道の直前で一時停止しかつその通行を妨げないようにすべきことになつているのであるから、たとえ歩行者が渋滞車輛の間から飛び出して来たとしても、そしてそれが実際に往々にしてあり得ることであろうと或は偶然稀有のことであろうと、運転者にはそのような歩行者の通行をも妨げないように横断歩道の直前で一時停止できるような方法と速度で運転する注意義務が要請されるといわざるをえず、もとより右の如き渋滞車輛の間隙から突然に飛び出すような歩行者の横断方法が不注意として咎められることのあるのはいうまでもないが、歩行者に責められるべき過失があることの故に、運転者に右注意義務が免ぜられるものでないことは勿論である。

しからば、被告人は本件横断歩道を通過する際に、右側に渋滞して停車していた自動車の間から横断歩道によつて突然にでも被告人の進路前方に現われるやもはかり難い歩行者のありうることに思を致して前方左右を注視すると共に、かかる場合に備えて横断歩道の直前において直ちに一時停止することができる程度に減速徐行すべき注意義務の有ることは多言を要しないところであつて、原判決がこのような最徐行を義務付けることは過当であるとしたのは、判決に影響を及ぼすこと明らかな根本的且つ重大な事実誤認であつて、この点において既に論旨は理由があり原判決は破棄を免れない。

すすんで、被告人の減速徐行の程度を検討するに、本件事故現場路面に被告人の自動車により残されたこと明らかな左右前輪及び左右後輪によるスリツプ痕の長さの平均は原判決のいうとおり約五・八米であり、路面が乾燥した平担なアスフアルト舖装であることを考慮すると、急制動措置をとつた直前における被告人の自動車の速度は、整備不良その他特段の事情のない限り、時速三〇粁乃至二五粁位であつたことが推定され、被告人が当審において時速四〇粁位から時速二〇粁位に半減していた旨供述するところは採りえないにしても、公訴事実のいう如く漫然時速約四〇粁の侭で進行したとは認められず、原判決のこの点に関する認定は正しいものとしなければならない。しかしながら、この程度の減速徐行を以てしては、横断歩道の直前で一時停止するに由ないこと明らかであつて、前記注意義務に遵いそれを尽したというに足りないばかりでなく、また前方左右及び歩行者の有無動静確認の注意義務にしても、被告人の司法巡査に対する供述調書及び原審公判廷における供述によると、横断歩道附近に被害者以外の歩行者二名を認めたものの如く或は認めなかつたものの如く瞹眛な供述をしているのであつて、このことに徴するとむしろ被告人は、横断歩道に向つて進行しながら、前方注視及び歩行者の有無動静の確認に注意を傾けていなかつたものと認めざるをえないのであつて、原判決がこれらの点について被告人に注意義務違反がなかつたと認定したのも、事実誤認の譏を免れないところである。

よつて、本件控訴は理由があるので、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条により原判決を破棄する。

(松本 真野 深谷)

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